医学教育つれづれ

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デブリーフィングの質を変える新基準「Advocacy-Inquiry Rubric (AIR)」

The Advocacy-Inquiry Rubric (AIR): a standard to build debriefing and feedback skills

Clément Buléon, Demian Szyld, Robert Simon, Lon Setnik, Walter J. Eppich, Mary Fey, James A. Lipshaw, Janice C. Palaganas, Jenny W. Rudolph & Advocacy Inquiry Interest Group

Advances in Simulation volume 10, Article number: 60 (2025)

advancesinsimulation.biomedcentral.com

シミュレーション教育や臨床現場での振り返り(デブリーフィング)において、学習者の心理的安全性を守りつつ、教育的効果を最大化するための対話手法として「Advocacy-Inquiry(A-I)」法が広く知られている。しかし、この手法を習得し、指導するための「明確な基準」はこれまで存在しなかった。

なぜ新しいルーブリックが必要なのか

これまでもデブリーフィング全体を評価する尺度は存在したが(例:DASHなど)、A-Iという特定の「マイクロスキル」に焦点を当てた、きめ細かい評価ツールは不足していた 。A-Iは「自分の観察と意見を伝え(Advocacy)、相手の考えを尋ねる(Inquiry)」という多段階のプロセスを含むため、習得が難しく、指導者にとってもフィードバックが困難なスキルである

 

 

本研究の目的は、A-Iスキルの教育、コーチング、評価を支援するための標準化されたツール(AIR)を開発することであった

AIR開発プロセス

研究チームは、13カ国39名の専門家によるデルファイ法(合意形成法)を用いて、効果的なA-Iと非効果的なA-Iの行動指標を特定した 具体的には、A-Iを以下の5つの要素に分解し、それぞれの「良い行動」と「悪い行動」の記述(ディスクリプタ)を作成している

 

 

1. AIRの5つの構成要素(The 5 Elements)

 

Preview(予告・オリエンテーション

目的: これから話すトピックや焦点を相手に伝え、心の準備をさせる。

定義: 会話のパートナーに対し、話題の方向性を示す

 

Observation(観察事実の提示)

目的: 議論の出発点を「共通の事実」にする。

定義: ファシリテーターが見たり聞いたりした「具体的かつ客観的な」行動を記述する

 

Point of View(視点の開示)

目的: なぜその行動を取り上げたのか、自分の懸念や考えを透明化する。

定義: その行動がもたらす結果や影響について、ファシリテーター自身の視点を明らかにする

 

Inquiry(問いかけ)

目的: 相手の行動の背景にある思考(フレーム)を探る。

定義: 相手の視点を引き出すために、オープンエンドな質問(「はい/いいえ」で答えられない質問)を投げかける

 

Listen(傾聴)

目的: 相手の思考を受け止め、理解を深める。

定義: 相手の視点を認め、その行動の背後にある推論を探索する姿勢を示す

AIRの3つのバージョン

開発されたAIRは、用途に応じて以下の3つの形式で提供されている

・数値評価版(Numeric AIR: 詳細な評価や進捗管理用。

・教育・学習版(Teaching and Learning AIR: 記述的フィードバックや自己学習用。

・絵文字版(Emoji AIR: ピア(同僚)評価など、心理的ハードルを下げて使いやすくしたもの。ユーザーテストでは、この絵文字版が特に好評であったという

 

日本の医学教育への適応を考える

 

最後に、このAIRを日本の医学教育現場に導入する際の可能性と課題について考察する。

1. 「察する文化」から「明示する文化」への架け橋

日本のコミュニケーションはハイコンテクストであり、直接的な指摘を避ける傾向がある。A-I法は「私はこう見た(Observation)」「私はこう考えた(Point of View)」と主語を明確にして伝える手法であるため、導入初期には文化的抵抗感が生じる可能性がある。しかし、AIRという「ルーブリック(基準)」が存在することで、「個人的な批判」ではなく「基準に基づいた客観的なフィードバック」という枠組みを作りやすくなるだろう。これにより、指導者がフィードバックを躊躇する心理的障壁を下げる効果が期待できる。

2. ピアレビューにおける「絵文字版」の有用性

日本、特に医学界のようなヒエラルキーが存在する環境では、同僚間や後輩から先輩へのフィードバックは難しい。本研究で開発された「絵文字版AIR」は、評価の堅苦しさを和らげる工夫がなされており 、日本の現場におけるピアフィードバックの導入ツールとして非常に親和性が高いと考えられる。まずはこの簡易版から導入し、A-Iの型を「共通言語」として定着させることが有効ではないだろうか。

3. 言語化レーニングとしての価値

A-Iは、相手の思考(フレーム)を探るための技術である。日本の教育現場では、学習者が「正解」を求めがちで、指導者もすぐに「教え」がちである。AIRの「Inquiry(問いかけ)」と「Listen(傾聴)」の項目にある具体的な行動指標(例:沈黙を許容する、好奇心を持つ )は、指導者が「待つ」姿勢を身につけ、学習者のリフレクションを深めるための具体的なトレーニング指針として極めて有用である。

 

結論として、AIRは単なる評価ツールにとどまらず、日本の医学教育におけるフィードバック文化を、より対話的で心理的安全性の高いものへと変革する強力な補助線になり得ると言える。